向田翔一(株式会社22世紀アート 代表取締役社長)
中村祐木(志大学校 学長)

新時代の作家を発掘するコンテスト、「文学レボリューション」が開催されます。
文学レボリューションとは、どんなコンテストなのか。新ジャンル「ライトショート」とは。開催に向けて、運営陣はどんな想いなのか。
運営であり審査員である、22世紀アートの向田社長と、志大学校の中村学長が語ります。

「出版業界の外」に文学の新しいジャンルを
中村:文学レボリューションは、文章を書く人が参加するというより、「たぎる想い」をもっている人に向けたコンテストです。そして想いを形にする手段として、出版があると思っています。
向田:今回、新しいジャンルをつくると、提言したじゃないですか。僕の中では、それに「出版業界の中の」っていう枕詞があったんですよ。けれども、実際に参加者の想いが集まるにつれて、「出版業界の外」に文学の新しいジャンルができようとしているのを、すごく感じていて。
中村:なるほど。
向田:この形に対して、「出版業界の中」にいる人たちは、違和感があると思います。それくらい、突飛なことをやっている。だから賛否もあっていいし、そこを新たなチャンスにできればと思っています。これは志大学校との、コラボもあったからでしょうね。
中村:最初は「22世紀アートを中心にはじまる」文学レボリューションでした。けれど、向田社長が「いや、それは違う。志大学校も先頭に立って、共にやってほしいんだ」とおっしゃったことが、分岐点になりましたね。
向田:それが、参加者にも伝わっていると思いますね。「なぜ一次審査が読書感想文なのか」とか、伝えきれていない部分もあります。けれど「出版業界の外」にある感覚は、すでにある。そういう場所が求められていたっていうのは、僕たち出版業界側から言うと、すごく意外です。
コンテストというより、万博みたいなイベント
向田:でも参加者に対して、今も少しだけ「そんなにたぎっているなら、今でもいろいろな文学賞があるんだから、そこに飛び込めばよかったのに」と思っているんです。不思議ですね。
中村:居場所を感じられなかったんじゃないか、と思います。
向田:これまでの文学賞に?
中村:そうですね。「ここが居場所だ」っていう感覚は、人それぞれ違うと思うんですけど。想いはあるけれど、ぶつける場所がなかった人たちに、居場所を与えたいということで、今回はこういう形になったんですよね。
向田:今回は結果文学になっただけで、イメージはコンテストというより、万博みたいなイベントに近いんですよ。「たぎる想いのある人を集めて、エネルギーをぶつけあって、すごいものができたら面白いよね」みたいな。「参加費を発生させるか」って話もあったじゃないですか。
中村:ありましたね。
向田:従来の「出版業界の中」で考えると、コンテストに参加費をとるって、違和感がありますよね。「いい作品を探して出版して、出版社に利益があるなら、無料で作品を集めればいいのに」って。でもひとつのイベントと考えると、参加費をとることにも違和感はない。
中村:たしかに。
向田:これを第一回目の開催で伝えるのは、難しいと思います。今後、どれだけわかってもらえるか、ですよね。だからこそ、優勝作品にも、そういうテーマを入れてもらえると、面白いかもしれません。今回の優勝者も「出版業界の中」ではなく、外で活躍してほしい。そして今の出版社が絶対出せない作品を、一緒につくりたいです。
そもそも文学って、どう定義する?
向田:「文学のこと、わかってなさそう」とか言われることもありますが、どちらかというと今回のコンテストにおいては「わかってたまるか」みたいなところがあるんです。今までつくられてきた文学は、それはそれとしてもちろん認めていますが、新時代を担うスターを生み出すには、これまでの文学の系譜では難しいと感じています。
中村:文学っていうのは、誰でも共通するところまでもっていければ、復活できるんじゃないかと思っています。今までは「文学の人たちのため」にあったから、本が売れなくなり、読まれなくなったんじゃないかと。僕は読書って、誰にとっても大事だと思うんです。「読書によって心を育て、人格を育てられる」と考えたとき、一人でも多く本に、文学に触れてほしい。それこそたぎる想いがある人が書いた作品を、読んでもらいたい。
向田:そうですね。
中村:そのためには、一人でも多くの人に、浸透させるための仕組みが必要です。そして文学レボリューションは、その第一歩になると思います。
僕は、たぎる想いから生まれた、文字の芸術作品が、文学だと思っています。過去にいた文学者って、みんな色が違うわけです。たとえば今ドストエフスキーの作品を見て「これはひどい」と言う人はいる。でも「ロシア文学といえばドストエフスキー」と言われていますよね。
向田:そもそも文学って、わかるものなんですかね?「これを文学とする」と作家が言うか、ファンが定義するか、という結果論かもしれないと思うんです。我々が生み出すものも、作家が「これを文学とする」、読み手が「これは文学だね」と言った瞬間に、文学になると思っているので。
中村:なるほど。それも踏まえて「文学とは何か?」という議論そのものに、価値があると思います。それを議論している人にも、たぎる想いがあるわけですから。
向田:いいですね。そうやって、みんなで盛り上げていきたいですね。
ライトショートに技術は必要ない?
——ホームページで「ライトノベルに技巧は必要ない」と定義づけしたことについて、一部の人からは「なめてる」という声が聞かれるようですが……。
向田:極論を言うと、今回発掘したいのは、技術や技巧ではないんですよね。
中村:そうですね。
向田:技術は必要だとは思いますよ。今回はプロの編集者を呼んでいますし……技術は必要ですね。すみません。我々の書き方もよくなかったのかもしれない。
中村:でも「それができるメンバーを、たぎる想いがある人のために揃えた」ってことですよね。技術もたしかに必要ですけど、一番はたぎる想い。それが本物なら、僕たちは技術面でも全力で応援しますよ、っていう。
向田:そうなんですよ。
中村:技術も、文学では定義できないと思うんです。たとえば『人間失格』とか、時代を越えて読まれる作品は、技術を飛び超えた、それより大切なものが表現されています。だから「技術はいらない」は極端だけど、間違ってはいない。本物になった作品って、技術より大切な、表現せずにいられない、それこそたぎる想いが書かせたんだと思います。
向田:話を戻すと、ライトノベルって、まだ歴史が浅い。そういう意味で、許される範囲だと思います。古典や大衆文学は、歴史の分だけ、マーケットで売ろうとすると技術が必要になる。我々がつくろうとしているライトショートは、これからだから、そこに技術の定義はまだないですよね。
中村:つまりライトノベルではなく、ライトショートになった場合、技術は必要ないと。

最後に
向田:参加者をたぎらせる側なのに、気づいたら自分がたぎっていた感じはあります。「どんな想いも抱きしめてやる」って気持ちで、僕たちが燃え続けていないとならない。僕たちも本番当日に向けてしっかりと仕上げていきますので、みんなたぎりましょう!
中村:僕たちの目標は、参加者以上にたぎること。そうすることで、一人ひとりの想いにこたえられるんだと思っています。だからみなさんも、たぎる想いを全力でぶつけてきてください!楽しみにしています!
あなたのたぎる想いを人々の感動へ
みんなを幸せにするために生まれた
新しいかたちのコンテスト
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